喜界島とは
喜界島(きかいしま、きかいじま)は奄美諸島の南西部に位置する島。
鹿児島県大島郡に属し、島内には喜界町がある。東経130度線上に位置している。
奄美大島のすぐ近くに所在している。
地理
面積:56.9km2
北東幅:14km
南北幅:7.75km
周囲:48.6km
最高点:203.5m(百之台)
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地形
隆起性サンゴ礁の島で全島ほとんどがサンゴを起源とする石灰岩でできている。 |
歴史
喜界島は中世以来、周辺の大勢力の支配を受けてきた。
1446年 琉球王の喜界島征伐が行われ、琉球王朝の支配下となる。
1609年 薩摩藩の侵攻により薩摩の直轄領となる。集落を6つに分けて支配がなされた。この形態を「間切り」と呼ぶ。
1871年 廃藩置県により鹿児島県となる。
1886年 間切りが廃され、湾方村と早町方村が設置される。
1908年 喜界村が成立。
1919年 喜界村が喜界村と早町村に分立。
1941年 喜界村が町制施行。
1946年 第二次世界大戦終戦により周辺の奄美諸島と共にアメリカの軍政下に入る。
1953年 日本へ復帰。
1956年 喜界町と早町村が合併、喜界町となる。
ペリーが日本に到来した際に喜界島を「クレオパトラ・アイランド」と名付けたとして地元の観光業などがPRしていたが、2000年に文献が再検討された結果、喜界島は「バンガロー・アイランド」と名付けられていたことが判明した。(クレオパトラは十島村の横当島、上ノ根島ではないかとされる。)
1886年(明治19年)湾村・早町村発足
1908年(明治41年)島嶼町村制施行に伴い、湾村・早町村が合併し喜界村が発足
1919年(大正8年)喜界村・早町村に分村
1941年(昭和16年)喜界村が町制施行、喜界町となる
1946年(昭和21年)敗戦により喜界島を含む十島村以南が本土と分離、アメリカ軍の統治下に置かれる
1953年(昭和28年)奄美群島民の祖国復帰への願いが叶い、与論島までが日本に復帰
1956年(昭和31年)喜界町と早町村が合併、新「喜界町」となる
1959年(昭和34年)大字湾61番地に町役場庁舎完成
1963年(昭和38年)NHKテレビ放送受信開始
1976年(昭和51年)南日本放送・鹿児島テレビ放送受信開始
2006年(平成18年)2月2日、大字湾1746番地に新しい町役場庁舎完成
2006年(平成18年)城久遺跡が発掘され、国府級の大規模遺跡であることが確認された。 |
行政
町長:加藤啓雄(2000年10月5日から)
防衛省:防衛省情報本部喜界島通信所。
高感度無線傍受施設(「喜界島通信所」通称「象のオリ」)が川嶺地区に建設され2006年3月から一部運用開始している。計画は1985年から進められ、中国、台湾方面からの無線傍受を行っている。 |
産業
主な産業は農業
島一面にサトウキビ畑が広がる。サトウキビを絞って作った黒糖から島特産の黒糖焼酎が作られ、喜界島には朝日酒造と喜界島酒造がある。
ゴマの産地としても知られる。 |
姉妹都市・提携都市
菱刈町(鹿児島県伊佐郡)
瀬戸内町(鹿児島県大島郡)
天城町(鹿児島県大島郡)
知名町(鹿児島県大島郡) |
交通
空港
喜界空港
日本エアコミューター(JAC)
- 鹿児島空港
- 奄美大島空港
航路
奄美海運(マルエーフェリー系列)
鹿児島港(本港) - 喜界島(湾港) - 奄美大島(名瀬新港) - 奄美大島(古仁屋港) - 徳之島(平土野港) - 沖永良部島(知名港)
バス路線
大島運輸 ※現在のマルエーフェリー(旧・大島運輸)とは別会社
道路
鹿児島県道 619 喜界島循環線
鹿児島県道 628 浦原喜界空港線
※2003年3月5日に喜界島初の信号機が設置された。 |
地域
教育
鹿児島県立喜界高等学校
早町中学校
第一中学校
第二中学校
阿伝小学校
荒木小学校
坂嶺小学校
志戸桶小学校
小野津小学校
上嘉鉄小学校
早町小学校
滝川小学校
湾小学校
地上波放送
NHK鹿児島放送局(喜界総合39ch・喜界教育41ch)
MBC南日本放送(喜界43ch)
KTS鹿児島テレビ放送(喜界45ch)
KKB鹿児島放送(喜界47ch)
KYT鹿児島讀賣テレビ(喜界49ch)
NHKラジオ第一(792kHz)
NHKラジオ第二(1602kHz)
MBCラジオ(1449kHz)
NHK-FM(82.2MHz)
電話
市外局番0997
NTT(西日本電信電話株式会社・エヌ・ティ・ティ・ドコモ九州)
KDDI株式会社
ソフトバンクモバイル株式会社
株式会社ウィルコム
インターネット
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